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【記事】浜名湖たきや漁ツアー2023を終えて

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はじめに

静岡県浜松市浜名湖エリアで体験ができる、「たきや漁」。毎年5月下旬から9月末まで行われております。

日本で唯一ここでしか体験ができない「伝統漁法 たきや漁」。

当社(スプリームトラベル)は、2021年よりたきや漁ツアーを企画し、多くの方が参加頂きました。2021年、2022年は旅行支援を活用し、地元のお客様で人気のツアーとなりました。2023年は、地元浜松の方から他県の方まで浜松旅行の一環としてツアーに参加頂きました。浜松を代表する体験であり、100年以上続くこの伝統漁法は、体験価値があります。

ツアーコース&ポイント

夕暮れ時(17:30~18:30)頃にホテルロビーを集合(日没の時期により集合時間が異なる)

➀THE HAMANAKO ➁活魚の宿 あさしお

にてご集合頂き、「たきや漁ツアーのご説明」その後、乗船エリアまでいき、記念撮影。(添乗員が同行の場合は写真撮影に特化します)

日が沈み、浜名湖の風を感じながら弁天島まで(これだけで満足度100%といった方も。。船に乗る事すらめったにないからね。)

そして➂弁天島エリアに入り、➃赤い鳥居にて船頭さんの「たきや漁」の漁法の説明と道具の使い方。ツアー参加者は真剣にお聞きになりますが、裏では添乗員は写真撮影のことでいっぱい。ここは、最高の景色を用意してくれるから。なんたって、まるでベトナムの運河にいるような幻想的な写真がいくつも撮影できます。(最高すぎる)

そしていよいよ、真っ暗な浜名湖から、ライトを照らし、「➄たきや漁」を開始。

約1時間30分ぐらい漁をし、➅湖に浮かぶコテージへ。(トイレは仮設しかありません)

⑦⑧捕った魚たちを船頭さんが調理してくれます。(まずは準備)そして、⑨天ぷらにもしてくれます。(衛生的に生魚の提供はNG)

⑩コテージ内の雰囲気

船頭さんが調理している間にツアーオリジナルの炭水化物系⑪新居にある「はづき」さんのオードブル。特別に仕入れさせていただき、地元の食材でおもてなし。(なんたって、漁に夢中でお腹がペコペコ)

会話を楽しんでいると、⑫⑬⑭天ぷら・カニ汁とでてきます。(カニ汁はカニが捕れたときだけ提供ですよ)

とあっという間に、22時頃になり、たきや漁の体験は終了。(片付けも船頭さんがしてくれるんです)

浜名湖の匂いがついたので、ホテルに戻り、⑮温泉へ。温泉に入ったらツアー終了。解散となります。

ツアーの魅力
  • 新居にある飲食店「はづき」のオードブルが最高においしい。浜名湖のりのおにぎり付。
  • ホテルより出発でリッチな気分になれる。終わった後は、雄踏温泉付き。
  • 弁天島の湖に佇み「赤い鳥居」で記念撮影&船頭さんによる「たきや漁」の説明。
添乗員(森下)より

2023年は、1THE HAMANAKO 2活魚の宿 あさしおのプライベートデッキからたきや漁をスタートいたしました。

今年も多くのたきや漁の魅力を再発見できました。天気に左右されることは当然ですが、船頭さんの協力がなければ、ツアーは全く意味を持ちません。このツアーはたきや漁組合のご協力あって成り立つツアーをより観光業として地元浜松を盛り上げていければと思います。

たきや漁の由来の名について

このように松明を燃やして光源としたことから、タキヤと呼び、ヤは俗な呼び方に魚屋、肉屋という「ヤ」の意味と考えられる。夜間、光をたよりの稼業であるから、風波がたてばもう水面はよくみえないことになり、年間の出漁日数が少ないのもこの辺に理由がある。

このように松明(タイマツ)からはじまったタキヤがガンドウになり、一方向に光を強く当ててた。

これを使って中村作太郎さん、神村林松さんらによって、東海道線鉄橋下に集まるオチエビ、クルマエビ(6月~8月の時期に湖南部に下るクルマエビ捕りに成功したことに刺激され、ガンドウによる突漁法の時代に入った。

昭和初期から10年代には、夜店などの光源に使われたガスランプがガンドウに代わって用いられたが、すぐにバッテリーが入ったので、ガスランプを使ったのは2,3年にすぎなかった。

バッテリーにより電球を点じ、この時代は昭和10年から始まったとしても、もう70年になるわけだが、はじめは、電球を水中に入れず、水面上数十cm~1mのところで点灯していた。

波による水面の反射を考えると、おそろしく光の効率がわるかったに違いない。

水中灯となったのは、やっと戦後になった昭和24年からであった。当時は水中灯はクルマエビを捕る時だけで、魚を捕るのは、あいかわらず電球を深いカサに入れて、ガンドウとして使っていた。はじめて水中灯を用いたのは誰によるのか、最近のことにしては、わからないが、弁天島の漁師によると言われている。

弁天島のそれは戦後の引揚者がなったものが多く、そこいらに新しい工夫があったのかもしれない。

バッテリーの導入された昭和10年初めに、この漁業に従う者約40名であったが、戦時中は、灯火の規制により一時中断し、戦後、再開してからは特に産業のまだ復興しなかった時代として、引揚者、復員した者がこの漁業に参加うる希望が多く、県の許可漁業とする方針と反して来て参加させて船、バッテリーの工面までした。

このため120~130名くらいにその当時の民生安定に役立った。 しかし昭和も30年代中頃になると、昼間働いて固定収入の良い工場、会社に勤める者が多くなり、若い者は、夜間の漁業を嫌って寄り付かず今では(昭45年当時)専業者60~70名で天候さえよければ毎日出漁するという人は50名余りである。ここでも深刻な後継者難である。

現在(平成20年)ではタキヤ漁師は25名で観光が主となっており、さらに深刻な後継者不足となっている。

たきや漁公式Webサイト(たきや漁概要 たきや漁由来の名)引用

まとめ

毎年、台風が接近することと、大雨の後の湖のにごり。天候に左右されることはもちろんですが、そういったことも踏まえてこの体験ツアーは多くの方に知ってもらいたい。そんな思いから企画をして早3年。以外と地元浜松の方も体験したことがないお客様が多く、一度は是非体験して頂きたいそんなツアーを継続できればと思います。

2023年のチラシ

2024年のツアーは現在未定です。

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